午前中はノロッコ号編成の隣でヘッドマーク幕等が取り外されたようです。
今回の甲種回送で五稜郭まで牽引するのはJR貨物のDD51ですが、14日早朝帯広貨物ターミナルを単機で出発し、釧路へ回送されました。
登場したDD51-1056はなんと、国鉄色(いわゆるオリジナル色)。今となっては北海道に数える程しか残っていない仕様です。
思い起こせば、2年前にミャンマーへ旅立った北斗星車両を牽引していったのも原色のDD51でしたね。
根室本線 新大楽毛-新富士
10:41新富士駅2番ホームに到着。
スーパーおおぞら1号が通過するまで一休みです。
この光景ももう見納めかもしれません。
しばらくして、釧路方へ移動した後DF200-11が待機している線に移動し夕方までお休みしています。
釧路運輸車輌所へ移動するのは16:10頃ということで、夕方家族と共に新釧路川橋梁へ。
日の入りの時間も過ぎて夕闇せまる中を1輌のDD51が通過していきます。
釧路車輌所を見渡せる場所(パチンコ・ダイナムの裏手)に移動すると、結構な人が来てました。もちろん、【臨鉄の会】メンバーも(笑)
残念ながら、キハ183系11輌は今まで留置されていたホキ編成の南側から北側のヤードに移動されていて、かろうじてキハ183-1だけが顔をのぞかせていました。
これもJR釧路支社さんの心遣い!?
日もとっぷりくれた頃、DD51がキハ183編成に連結されました。
そして17:25頃、DD51のヘッドライトが点灯。
いよいよ本当のお別れの時が訪れました。
デジ一を撤収し、ビデオカメラで最後の瞬間を撮影することにしました。
新富士駅付近へ移動したファンも多かったようで、釧路車輌所を発車する頃は5名ほどに減っていましたが、みな各々心の中で『サヨナラ…』を告げたことでしょう…
ミャンマー行き片道列車を見送った後は、そのまま新富士方向へ。
貨物ターミナルの隙間からホームに停まる列車の姿が。
急いでクルマを停めてホームに走りました。
手元のiPhoneで何とか撮影することに成功。
ゆっくりと走り去っていきました。
思えば、プロトタイプの900番台がデビューしたのが1979年。まだ石勝線が開通する前でした。当時僕は小学校4年生で、親のコンパクトカメラ(リコー・オートハーフってやつ)を借り出して、撮りテツデビューした頃でした。
それこそ、新富士駅近くの跨線橋からよく撮影したものです。
当時主力だったキハ82系は文字だけのヘッドマークで、上野口の特急のような絵入りマークは、この183系が最初でした。それだけに喜びもひとしおだったのです。
スタイルも非貫通の『特急らしい』佇まいで。
あれからもう30年ですか…。
もう見られないのは本当に残念です…。
おりしも、ミャンマー(本来はビルマか!?)では、民主運動家のアウサン・スーチー女史が軟禁を解除されたとの報道が…。
ODA絡みとはいえ、軍事政権に車輌が渡されるのは複雑な気持ちですが、平和な利用をされることを願うばかりです。






函館港では輸出に向けた準備が進められておるようです。
聞くところによると、某国の港近くにあるトンネルの断面が低くて、寝台はそのままだと通れないらしいです(^_^;)。
低床台車みたいな特殊なのじゃないと厳しいらしく…。
それで前の「北斗星車輌」はまだ行ってないようです。
「カニ・マニ」はどうなるんだろう!?
とある情報では20日〜24日に船積みらしい・・・とのことです(ってもう始まっているのでしょうか?)
ちなみに自分は先日、マレーシア向けの14系の陸送を見に行ってきました(近所でしたので^^;)
こちらも純正国鉄型の少ない生き残り。。。
異国の地でも長く頑張って欲しいです。
そうでしたか…。じゃあ正に函館ではドナドナの最中なのですね…。
そういや鉄道雑誌のブログニュースで下関?から西日本の車輌が送り出された記事みました。